音楽って
聴いているのと
演奏しているのとでは、
まったく感覚がちがいます。
聴いているときは
「受け身」でいいわけです。
流れてくるものを
感じるだけ。
結構らくです。
でも、
自分が演奏するとなったら。
気持ちだけでは弾けない。
「弾く」ことに必要なこと、
様々な知識や技術、
を頭と体にいれて、
感じたことを体を通して
音に表せることが
求められます。
「能動的」な作業です。
あとは、
メンタルの強さでしょうか。
ちょっとできないからといって
逃げたり投げ出していたら、
ひけるようにならない。
ひけないのは自分の中に
なにか原因があるせいだから、
なにが原因なのか考える。
そして、
それをできるようになるために
いろいろ工夫し、考え、
挑戦していかないと
できるようになりません。
楽器という道具をつかい、
体を動かしながら、
楽譜を読み、いろいろ想像でき、
同時に、よく聴くことも
できないといけません。
こう書くと、
なんだか苦行??のように
見えますね(笑)
では、なぜ
世界中の数えきれない数の人たちが
音楽の演奏をしているのでしょうか。
やっぱり
なにか魅力があるわけです。
人によると思いますが、
自分の中にないものを感じ、知り、
また、非現実的な世界を感じられる。
自分でそれを表現できる。
自分を超えた
より素晴らしい感覚、
尊い感覚を得られる。
音を出すこと自体が
楽しい、快い。
努力したぶん
良くなれる経験や
成功体験をできる。
言葉や肉体をこえた感覚、
精神性を表現できる。
人とコミュニケーションできる
ツール。
などなど、
「日常では味わえない感覚を
得られるから」だと思います。
やればやるほど、
レベルがあがれば上がるほど、
実はどんどん
内容の深さも増すので、
技術もさながら
自分の感性、感受性、
さらに人間性の表現に至ります。
こうなってくると
一生やってもやりきれない域です。
だから、
音楽はどこまでも
人間を魅了する力を
もっているのだろうと思います。
先日読んだ本に、
「石ころでもみがけば
すこしは光る」
というようなことが
書いてありました。
あきらめたらただの石。
すこしは光ろう。
すこしずつ光っていこう。