必要なことだけ残す




先日、

久しぶりに都内の美術館に

行きました。




山種美術館という

それほど大きくはない

美術館。




でも、前から

こだわった展示をする

美術館だなと思って

印象には残っていました。




普段日本画は見ないのですが、

好きな画風の画家がいて、




それを見たくて

行ってきました。




圧巻だったのは

奥田元宋さんの

奥入瀬渓流の画。




春と秋、

2つの大作がありました。




一枚が

ふすま4枚分もあるような

ビッグサイズです。




60歳を過ぎてから、

一年に一枚、

このような大作を描こうと

決心したと書いてありました。




奥入瀬渓流は

私も行ったことがあり、




清流の気持ちよさや

景色の素晴らしさを味わった

思い出があります。




絵を見ながら

感心したこと。




それは、

自分が素晴らしいと

感じたことだけを

描いていること。




水の色や流れの躍動感、

木の葉の鮮やかな色彩感、

周りとの対比、

光の加減、

その場の風情‥




考えてみれば、

音楽は物体としての

形には残らないので、




雑に奏でても

その場から消えていきますが、




絵画は

よいことも悪いことも

全部目に見えて残ります。




よくよく考え感じ、

必要なことだけを

残さないと

作品が壊れます。




画材によっては

やり直しが効きません。




段取りや色彩を想像し、

少しずつ色を乗せては

また考え。




思ったようにならないときは

自分の思い込みや勘違いを疑い。




見た目より

多くの作業を伴うものだと

いうことを

絵を描いていた頃

経験したことを

思い出しました。




楽器の練習も

似たようなもの。




毎日

基礎から音出しをし、

音や流れ、

フレーズの確認。




内容をどう表現するか考え、

それをできるように

していく。




一日でできることは

ほんのわずかです。




でも、

毎日記憶のなかに

積み重なって、




楽に弾けるようになっていき、

表現も豊かに楽しめるように

なる。




本番は一回ですが、

そのための練習量といったら。

たいした量です。




ただ書いてある音符が

弾けるようになればよいのなら

そこまでしなくても

よいのですが、




あの奥入瀬渓流の画のように

どこを見ても

作者の素晴らしいと感じた

感性や視点が

ちりばめられているような

演奏にしようと思ったら。




どれだけの

感覚を使って演奏するのか。




いいと思ったことだけを

やれるだけの技術力、

知識、感性が、

どれほど自分のなかに

あるかが問われます。




丁寧な意識で

音を出していかないと

知らないうちに

音楽をただの音に

してしまいます。




そんなことを思わされた

圧巻の絵を

見てこられたことは




自分の宝だと

思いました。





どんな世界にも

最高級なものには

目指したいと思わされる

高潔な精神があり、




忘れてはいけないなと

思わせてもらえました。





芸術は特に

こころや精神を磨く

最高の舞台です。